わけもなく、日になんども、涙があふれる【長期入院と現況のご報告】

 


男澤 亨(ビジネスネーム:倖田 暁水)です。

私こと2023年3月29日から5月10日までほぼ1ヶ月半にわたり、怪我治療のため、入院療養を受けていました。

3月29日明け方に、寝ぼけて自宅の階段から滑り落ちて、頭部を打ちました。
キズはさほどではなかった(と思う)のですが、しばらく(1-2週間か)意識がなくなり、部位が部位だけに診療には大事を取っていただき、念入りな治療と、入院後半は、退院後の生活のために筋トレや脳トレのリハビリ訓練を受けました。

初期には生命の危険すらあったようですが、救急対応に強い、仙台市立病院(太白区長町)に入院。
市立病院でもうちょっとで退院だという判断の時期には、男澤さんは、高齢者とも言えないし、退院後の生活でもやるべきことがたくさんあるから、特別メニューを受けたほうがいい、という方針を立てられました。
そして、5月1日からは、より専門性の高い仙台リハビリテーション病院(富谷市)に転院して、頭と体とも、より短期集中かつ高度なリハビリを行いました。

用意されたリハビリのメニューも段違いにハード(特に身体のほう)でしたが、それだけではなく、(自己流であっても)自主的なリハビリにも相当時間をさきました。
脳の疲労具合が心配だと言われたので、自宅から読みづらくて積読状態だった小説を何冊か持ってきてもらい、日に何時間も読者してみるとか、パズル本の難解なのにチャレンジしたり。ベッド上での筋トレを日に何度も行ったり(やりにくかった...暑かった..)。

そもそも自由行動のできないベッド生活ですから、時間は持て余すくらいで。入院仲間とのバカ話もおもしろかったですよ。なかには自由すぎる行動を試している人や法外な人の笑い話を聞いたり。
そんな結果、快復状況は順調で、病院では、これだけリハビリ成績の高い人もめずらしいと言われる始末でした。(本当に細かに点数化され評価される。ほめられてもよろこんでいる場合じゃないですけどね。機敏な運動に対応できたのには驚いたけど(^^;)

入院の間、仕事は休みとさせてもらいましたが、スタッフ、取引先を含めて自立する組織づくりに努めてためか、彼ら彼女らの奮闘もあって、幸いなことに業務が止まることはなく、むしろ好調でありました。

趣味の分野においては、私が代表となっている「混声合唱団グラン」が、3年ぶりに開かれた国際シニア合唱祭(横浜市、4月17日)に参加しました。闘病中の代表のためにも心をこめて歌おうと、団員の熱唱のおかげで、審査員特別賞(ちなみに3年前は優勝、4年前は初出場で準優勝)をとりました。
次いで、宮城県合唱祭(名取市、5月21日)でも上位入賞と聞かされて、私はいずれも出場がかなわなかったわけですが、実力がついたなあ、と我が子の成長のように感激しました。

そんなこんなで、長期入院すらはじめてでしたし、特に家族にはとても心配をかけました。退院後に想えば、死すら覚悟したようだ。
その悲嘆や適切な対応への勇気、努力を思えば、生涯あたまが上がらない。
コロナ禍で病院での面会はほとんどできないなか、手紙のやりとりがとても支えになった。なんども読み返しました。

また社員のみなさん、私のアクシデントを知った友人、知人からの控えめなお見舞いのメッセージからも、不肖私のためのおもいやりが想像されました。

病室では、タブレットの使用を解禁されてから、クラシック音楽や小説(青空文庫とか電子書籍)を楽しみながらも、人生の来し方、行く末に思いを巡らせました。
62歳にして、私の人生、家族の人生やらを見直す貴重な機会になりました。退院後は、家族やみなさんへの恩返しもあって、新たに「生き直そう」と考えるようになりました。

退院後は、不調を感じることはなく、言動も行動も(表面的には)まったく元気です。
会う人からは、まったく以前と変わらないと言っていただけます。

会社の仕事は、在宅勤務を中心に、経営者がやるべき仕事に限って取り組んでいます。
だけど、病み上がりで復活に集中すべきですから、やりかけていた新事業へのタネをひとつ捨てました。(いや、引き出しにしまっただけだったかな?)

しかしながら、退院後の日常生活は、思っていたよりも体力の低下が著しく、夜は早く床に着きたくなる、よく眠る。
つい2ヶ月前まで行っていた登山などは遠い過去のことで、散歩してみても体が重い。家事すらも疲れやすい。
筋肉の重さがだいぶ減ったからか、空腹で、かつ栄養補給のために、よく食べるようになったのは、好ましいけれど。

もともとなにほどの者でもない私が、これからどのようにして生きていったらいいのか。
以前はいきおいだけで過ごしてきて、こんなことを考えたのもほぼ初めてですから、立ちすくむ以外に日々を過ごすことができません。
以前とはちがう人生への復活までは、時間がかかりそうですね。

生活に支障はないほどの小さな小さな行動習慣だけれど、この2ヵ月で忘れてしまったことがたくさんあるようです。
頭から抜け出たというよりも、体が忘れてしまっている。
また、音楽や映画を楽しむ習慣や、あれ食べたいなあと自然に浮かぶ食欲や、強歩やらのトレーニングや、したいことがあれこれと消えてなくなってしまったようです。あ、旺盛な好奇心もどっかへ行ってしまったような。
家族に言われて、あるいはふと思い出して、立ちすくんでしまっては、涙があふれてきます。わけもなく、日になんども。

一方では、ちょっとしたことによろこびやおどろきを感じることがあります。子どもに帰ったようだとたまに思います。

合唱の練習には参加しはじめたのですが、早くも今月にやってくる次のステージのための曲のひとつが、有名な合唱組曲「水のいのち」から「雨」。
このような歌詞が散らばっています。「降りしきれ雨よ」「降りしきれ そして立ち返らせよ 井戸を井戸に 庭を庭に 木立を木立に 土を土に」「すべて立ちすくむものの上に」「また横たわるものの上に」...。
自分のことになぞらえられて、うるっときます。

立ちすくむ私を生き返らせてくれる、いや生き直させてくれるのかな、それはどんな「雨」なんだろうか。

ああ、やっばり「水」のいのちだったか。→業務連絡「倖田 暁水」に改名しました

photo by Gerd Kozik Fotografie on Flickr