東北工業大学が開催した市民公開講座「もう一度、住まいと環境の問題を考えよう」を聴講しました。
講師は、東北工業大学の副学長である石川善美先生。
住まいの空気環境とエネルギー消費の問題を考えようとの講義。
住宅の空調、すなわち室温や汚れた空気の調整について、東北を中心とした調査データを織り交ぜながら、長年の研究成果を一般向けに分かりやすく解説したものでした。
ああそういうことだったのかとシンプルな理解につながったトピックが多くて、門外漢の私にとっては、感心しきりでした。
私も妻も昭和30年代の宮城県生まれ。生家はいずれもすきま風の入るような家屋でした。
当時はめずらしくもなかったでしょうけれど。
私の実家では、冬の暖房は石油ストーブと木炭こたつで、寝る時間になると火を消す。
枕元に置いていたコップの中の水が朝凍っていた、というのが、弟といまでも話す笑い話であります。
そういった住環境で、冬は「どんぶぐ」(どてら)を手放せないような暮らしで慣れていたせいか、薄着で過ごせるくらいの暖かい部屋に長いこといると空気が淀んでいるような気がして、調子がわるい。
私にとっての部屋の適温は14度くらい、妻はもっと低く12度くらいか。
我が家は循環式のパネルヒーターが室温をそのあたりで支えてくれるので、それとこたつがあれば茶の間はOK。
ちょっと着込めば、その他の部屋もOK。
5年前までは、仙台市郊外の別荘地に住んでいたのですが、そこでは薪ストーブをしつらえて過ごしていました。
自宅を建てる際に、「いつも家族の声が聞こえる家」という考え(の足りない)コンセプトを目指して、吹き抜けのリビングを中心にどんと置いて設計が進んでしまったのでした。
小さい体育館のような。ところで暖房はどうします、と設計士さんに尋ねたら、広い家をまんべんなく温めるには薪ストーブでしょう、と自信満々に言われ、そのとおりにしました。
ちょっとかっこいいなと。
以来、薪の準備が、春から秋にかけての休日の重要な仕事になりました。
きれいに割られた薪を買うと、月5万円以上にもなってしまう計算だったので、それ以外の調達法を試行錯誤しました。
最初は、住宅の解体屋さんから廃材を分けてもらいました。
ただで手に入るわけですが、問題は釘。
釘が入ったまま燃やすことはできるけど、角材を切るときにチェーンソーの歯を欠いてしまうので、結局ていねいに釘を抜かないといけない。
時間がかかるし、明るい気分の作業にはなりにくい。
次に試したのが、果樹たとえばリンゴの木の廃材。
伸びすぎないように剪定と老木の伐採が必要なそうで、これも無料でいただける。
固いから火持ちもいいし、香りもいいんですが、がちゃがちゃのコブだらけで、切ったり割ったりのがすごくたいへんでした。
結局、落ち着いたのが、クヌギなど広葉樹を丸太のまま購入。
クレーン付の10トントラックで庭先に積んでもらいました。
作業はまず「玉切り」して30センチほどの長さに揃える。切断された丸太を玉という。それを第一薪置き場に運んで1年間乾燥させる。
次に、いよいよマサカリで「薪割り」です。台となる切り株の上に、薪を置く。
真芯をめがけて2つに割りたいところだが、太いし固いしでびくともしないから、端を削ぐように狙いをつける。
割れて倒れた太い方をまた台に載せ、次の端を削ぐ。一個の玉をさばくのに10回以上も載せ直す。
こうしてできた丸太を第二薪置き場に重ねる。
地震がきたり、万一子どもが触っても崩れたりしないように、奥に重心がかかり安定するように重ねる。
これも1シーズン乾燥させる。
いよいよ冬になると、野菜コンテナに薪を詰めて、ストーブの脇にコンテナを重ねる。
1箱20キロ以上の重さですが、我が家での2週間分に相当する8箱を室内に常備する。
こんなふうに、薪を準備する作業ってやつは、ひたすら丸太を運ぶ作業であります。
延べ何十トンも運んだことでしょうか。ぎっくり腰にもなるわ。
薪割りと聞いてイメージされるのは、マサカリやチョウナで薪を割るシーンでしょうが、あの動作自体はコツをつかめば力もいらないし、気分のいい作業に違いありません。
薪ストーブは、遠赤外線効果もあって、部屋全体をほんわり暖めます。
実際に湯冷めしなかった。それだけでなく、ガラス越しの火のゆらめきはいつまで見てても飽きません。幸せ。
しかし、これだけで暖房をまかなうとなるとかなりの労力あるいはコストになる。
薪は近くの山から拾ってくるんでしょと人は気楽に語っていたけれども、決して経済的効率はよくはない。
一冬で3畳間一部屋分使うことになる薪の山と裏山とを交互にながめながら、この木立ちの何本をこの冬のために燃やすことになるんだろうと、ため息が出そうになった。
人間の業といっては大げさですが。
そんな生活をしていたおかげで、家を暖めるためにどれだけのエネルギーが必要かということが実体験として感じることができました。
東北の少なくない人々が、米の一粒を無駄にできないのと同じように、薪や木っ端の一片もできるだけ無駄にしたくないと思うようにもなりました。