ペットや家畜に愛情をかけて接すると、動物のほうも人間に親しむようになります。その結果、生活のパートナーとして、精神的あるいは肉体的に人間の役に立つようになります。
私は動物嫌いグループのひとりですが、そうでないグループの人たちは、動物と人間とが心を許し合うことができる。すばらしいことです。パートナーアニマルという言葉もありますね。
私が心を許せる人間以外のパートナーは、「機械」です。
機械も、動物と同じように、人間が大切に扱えば、それに応えてくれるようになる。
と、昔から実感していました。
心がこもっていない行動や動作を「機械的な」と言葉を遣うように、感情や思考はゼロかどうかはわからないが、それでも五分の魂はありそうだ。
若いころ、出版会社にいたときの話です。当時は印刷には、文字や画像を転写した印画紙を台紙にレイアウト通りに貼りつけた原版を用意する必要がありました。これを版下(はんした)とよびます。
写真やイラストは、印画紙に転写するには大型の製版カメラを使う。会社の製版カメラは幅、奥行き、高さとも2メートル以上あるようなものでした。
私が主にその操作担当だったものだから、隅から隅までこの機械の性能を熟知するようになっていきました。掃除や調整も愛情込めてやっていました。懐かしいなあ。
休みの日にひとり自主出勤し、時間を気にせず手入れをしていると、心が落ち着く、和む。
その結果、あら不思議。他の人が使ってもうまくいかない難しい転写作業も、私が操作をするとうまくいく。私が操作をすると早く的確に処理ができるとなるとて、よしよしと心が通じ合ってひとり誇らしかったことでした。
最近、ガラケーをスマホに変えまし
た。10年ぶりのリバイバルです。かつて使っていたandroidだし、iPadはずっと使っていたので軽く考えていましたが、乗りこなすのに四苦八苦しています。
操作が難しい。仕事柄この種の扱いには抵抗のない私だけれど、なかよしになるまで、しばらく掛かりそうだなあ。
(妻も一緒に変えたのですが、たったいまトラブルに駆り出され、対応してきましたところ・・)
コンピューターやスマホ、携帯電話がこれほど普及するようになってくると、みなさん、使わないわけにいかないのだけれど、心が通じ合っていると言うよりもこちらが使われてるような気がしてなりません。
劇的に操作が簡単になる電子機器なのか、人間とフレンドリーな関係性を持ちうるパートナーデバイスはどんな形なのか。いずれブレイクスルーを突破する発明が生まれるのを心待ちにしています。
※追記
朝、妻から尋ねられました。
「職場のコピー機の設定がおせっかいすぎてうまく使えない。(これこれこういうやり方)がよくわからない。どう設定したらいいの?」
「設定が複雑なんだよねえ。いちいち設定を確認して、自動設定を避けること」
「そうなんだよね」
とすでに分かっているわけです。それでも、時間に追われるなかで機械にいらいらしているのが手に取るようにわかります。
パソコンもスマホもそうですが、機械に寄り添ってみる、使う側の姿勢が大切なんだろうなと思います。
これは職場や家族での人間関係にも繋がることだ、あ、ペットも同じだと改めて気づきました。