家事のルールブックを妻にねだる


ネットの人生相談に、こんな質問がありました。

家事を手伝おうとしているのに、妻のルールが細かすぎて困る。少しでもやり方が違うと怒られる。ルールを教えてほしいと頼むと、いっしょに暮らして30年になんなんとするのに、なぜわからないとなじられる。私は一体どうしたらいいのでしょう。

あ、途中から、私の心の叫びが顔をのぞかせてしまいました。

よくわかります。すごくわかります。恥ずかしながら、わが家もまったく同じです。

なぜこんなふうになるんだ?逆に、私も同じようなことをしているんだろうか、いや心当たりはない。自問自答してはいつも千日手にハマってしまう。

今日、ビゼーの「アルルの女」を聴きました。旅で出会ったケバい女が忘れられず、ふるさとの心やさしい婚約者との破談を迷いながら、結局自殺するという、戯曲の付随音楽。どろどろしたストーリーを感じさせない、南フランスの色彩感あふれる魅力的な組曲です。気分が開放される。

その30分間に、目をつぶってよくよく考えてみたら、合点がいきました。

自分も同じようなことをやっている!しかし、それは家庭内ではなく、経営する会社において!

小さな会社ですから、細かなところまで目が行ってしまう。最近は、整理整頓のルールを徹底しているものだから、資材をしまう位置が違う。なんでコピー用紙を少しだけ残す。ゴミ箱が満杯だ…

自分の会社や仕事には熱中しているから、みずからの理想を求めてしまう。自分の考えにそぐわないのは、ルール違反だと決めつけそうになる。

もともとパーソナルなルールは、人によって千差万別だ。常識だと思いこんでいることは、ほんとうはどれだけ共通のルールかわからない。相手だって、考えなしにやってるわけはなく、そう行動した理由が存在するはずなのに。

さすがに、それだけのことで詰ったり、怒り出すようなことはないけれど、わずかではあっても心中にさざなみが立つ。

妻も同じなんだ。家事は自分の仕事としっかり認識しているのでしょう。昭和の女性ですから、なおさら。

その主導権において、わが家での家事のルールは、あらゆる範囲と局面で、妻によって厳格に定められている。一生懸命やってるんだから。たとえ、理不尽なルールだと私が感じたとしても。

かつて入会していた倫理法人会のしおりの一節「夫婦は一対の反射鏡(あわせかがみ)」を思い出しました。

これまでは、妻は夫を改めさせようとし、夫は妻をやかましく言った。
それが大まちがいであった。夫婦は互いに向かいあった反射鏡である。
(中略)
夫婦が互いに相手を直したいと思うのは逆(さかさ)である。
ただ自分をみがけばよい。己を正せばよい。
その時、相手は必ず自然に改まる。
夫婦は、いつも向かいあった一組の鏡である。

そうでしたそうでした。家庭内のことは、妻に従えばそれでいいのだよ。

それにしても、ルールブックがほしいなあ。そんなことを言った日にゃ、、