正月に白鳥をみて感じたこと

 

正月は、登米市の実家で過ごすのが常で、いちばんの楽しみは、早朝の元朝詣りなのです。

町内の神社4社を1時間くらいかけて歩きます。こんなルートです。(→グーグルマップ

白鳥と雁の越冬する河川敷の散歩道を知らぬ人(たまには知ってる人)とあいさつを交わしながら、神社に向かい、その後は子どものころに遊び回った懐かしい小路を歩きます。

今年の元日は雪模様だったので、近くの2社だけにしておきました。

いつもは屋台の並ぶ参道を参拝客が列をなしているのですが、コロナの影響もあるのでしょうね、数人しかおらず、おかげで後に並ぶ人々気にすることなく落ち着いて手を合わせることができました。

翌日2日。雪も止んだので、遠くの2社に、例によって河川敷を歩いていきました。寒いし、他に行き交う人もなかったのですが、車の轍跡があったのが不思議。

いつものように白鳥が、ざっと200羽は川に浮かんでおりました。

近くにいたつがいの鳥が、川の流れに逆らってひとところに留まっています。

そのうち、気まぐれのように、しかもいっしょに向きを変えると、水に身を任せて下流に流れていきました。

無理をしない自然体のカップルなんだろうかと微笑ましく思っていたら、仲間の群れが近づいてくると、こんどは羽音をばたばたさせて飛び立っていきました。

白鳥の羽ばたきは重い音がしてたいへんそうなんだけれど、2秒ほどですうっと空気を捕まると美しい姿勢を保つことこのうえありません。

どこまで飛んでいくのか。前に浮かんでいたところより上流に着水し、また仲よくそこに留まっているようになりました。

寒くて氷が浮かんで流れているような川なのに、住めば都か、仲よく暮らしているのだなあ。

世に生きる人間と思わず比べてしまいましたが、生き物はたくましいものです。

一方、雁が少ないなあとしばらく歩いていたら、群れが上空に現れました。

くの字形に編隊を組んだいくつかのグループが、こちらも200羽くらい、川を越えて飛び去っていきました。

餌を求めてどこかの田んぼからどこかの田んぼへ飛んでいくのでしょうか。

先頭に位置しているリーダーは決まっているんだろうか、それともそのときどきで交代するんだろうか。編隊はほれぼれするほど潔い直線を描いている。

今年還暦を迎える私の仕事の師は「水」となりました。(→業務連絡「倖田 暁水」に改名しました

厳冬の川の黙々と押し寄せる水流の続きように、おそろしいほどのエネルギーを感じましたが、そこで暮らす鳥たちにも、連綿と何十世代もこうやって命をつないでいる尊厳を感じずにはいられませんでした。

河川敷から堤防に上がって、清々しい気持ちになり、神社ではひとりでお賽銭をゆっくり投じました。

願い事ひとつする必要も感じなくなって、ただ頭を長いこと垂れていました。

photo by muroi8210 via frickr