「愚行権」を行使しなかった(いや、できなかった)


病み上がり途上にある私ですが、昨日、盛岡市の商店街で毎週開かれている伝統の「材木町よ市」に家族と出かけました。妻と娘に誘ってもらって。

盛岡市材木町よ市

にぎわいのなかで、家族とも笑いあいたいな。ビールの一杯くらいはいいかな、と楽しみにしていました。

外で酒を飲むのは、まだ心配なのですが、最近知ったばかりの「愚行権」を行使してみようと思ったのです。


「愚行権」という言葉を知ったのは、妻から。新聞に掲載されたいたコラムをスクラップしており、おもしろいよと紹介してくれたのでした。(河北新報2023/08/27、連載「老後の新常識」文・酒井譲より)

煙草を吸う、酒を飲む、ラーメンのスープを完食するなど、一般的には、愚かしい行い、ばかげた行為とされていることでも、そのことで心地よさや幸せを感じるのならば、人はこのような行為をする権利がある。ただし、他人に迷惑をかけない限りにおいて。

愚行権(Wikipedia)

さらにネットで調べたら、日本国憲法の幸福追求権にも反映されているとか、議論がたくさんあって、意外に深い考え方でありました。なるほど。


いざ、よ市にたどり着いたのは16時ころで、小雨でしたが、カンカン照りよりはいいね。たくさんの人がまちあるきを楽しんでいました。

しかし、盛岡駅から歩いて数分でしたが、疲れました。リハビリ途上で、日常的に疲れやすい体なんですが、今日はことさらのようです。

昼食をとると、それだけで満腹がいつまでも続くので、家族の買った団子を1本いただいただけで、「疲れていない?」「だいじょうぶ...」ばかりで、あまり会話もはずみません。

今日も渋面をみせて終わってしまいました。ごめんなさい。
(私のコメントはビジネスのことばっかりと、家族は苦笑いでしたが、金儲けではなくまちの活性化が主眼なんですよ。いい通りじゃないか。これも人徳のなさですかねえ(^^;)


また、楽しみにしていたのに、肝心の愚行権も行使できませんでした。


体調や精神状態に余裕がないので、愚行によって、禁忌事項である「家族に迷惑をかける」ことにもなりかねません。今日飲んだら、帰りの電車でもぐったりだろうけど、駅までもたないことも考えられる。

ただでさえ、疲れるとか体調がいまひとつだとかうまくいかないとかと口にして、精神的な負担をかけているというのに。


思えば、若いころから愚行はたくさんやってきたけれど、迷惑をかけることも少なくなかった。あまり言えないけど。

微力ながら、真っ当に生きよう、家族を幸せにしようと努力してきたつもりだから、しぜん愚行にも自制がはたらきます。

振り返れば、我が生き方にきっちりタガをはめてきたなあ。

健康であれば、タカも愚行権も生きる糧としてエネルギーに変えることができたけど、いまの体調ではそれもできんなあ。


いや、そもそも「他人に迷惑をかけない限りにおいて」と考えれば、私じゃなくとも多くの人々が「愚行」を満足に果たせないのではないかしら。


後味のよくないコラムになってしまいましたが、もがき苦しんでいるいまの私の気持ちの一端を吐露させていただきました。

ともあれ、今日は...毎日やっている運動トレーニングをさぼろうっと。午後から仕事だし。

1日も早く健康を取り戻したいので精力的に取り組んでいますが、これで少し遅れてしまうなあ...あ、缶ビール買ってこないと...今日だけは許して(^^;