朱夏から白秋へ。シベリウスからブラームスへ。


頭部の怪我から6ヵ月が経ちました。 →わけもなく、日になんども、涙があふれる【長期入院と現況のご報告】

仙台市立病院へ、毎月の診察に、一昨日赴いてきました。

MRI検査で脳の断面写真を3ヵ月ぶりに撮りましたところ、主治医から、損傷箇所が広がっていないから、心配はないと。
ケガから6ヵ月を経て安定期に入ったので、後は3ヵ月に1度、異常がないかどうか話に来るだけでいいということでした。

きびしい謹慎が解けたのだ...ほっとしました。

これまでは、再発が怖かった。また、家族の悲嘆を心底悔いたため、人生を過剰なほどに省みてきた。迷っていた。苦しんでいた。
ここ数ヵ月は、気後れした暮らしを送ってきました。
家族にはわがままをまた受け入れてもらっていました。

いわば非常時であり、それも必要なのだとの信念で、「生き直す」こと「生き直しを考える」ことに時間を費やしてきたけれど、これからは少し羽をのばしてみてもいいのかな。

かけがえのない家族にはいちばん心配をかけ、心底から支えてくれた。
ほかに、社長不在でも懸命にベストをつくしていただいた社員、取引先、強い言葉ではなく思慮深いはげましをかけてくれた友人、知人、みなさんのおかげです。

また、塞ぎ込んでいた生活のなかで、生きる道を見つけねばとジタバタしていたおかげで、あたらしい行動習慣を身につけることができました。
すこしは思慮深くなったこと、意識的に休息を取るようになったこと、瞑想が心地よくなったこと、論理的効率的な運動習慣など。
そんなことすらもできなかったんだ、していなかったんだとあぜんとさせられました。人生観のステージ転換にとても役に立ちそうな収穫でした。

こころもからだもまだ万全とは言えませんが、新しい季節がはじまった、と気分がはればれしました。

さて、新しい季節とはどんな季節だろうか、「青春」ではありえないのだから、「白秋」だろうなあ。

「白秋」について調べてみました。

------------------------------

【白秋】〚名〛(五行思想で、中国において、白色を秋に配するところから)秋の異称。《季・秋》(日本国語大辞典)

------------------------------

【白秋】60歳頃~75歳頃。白色は清浄を意味する。人生の一通りの役割を果たした後、生々しい生存競争の世界から離れて、秋空のようにシーンと澄み切った、静かな境地に暮らす時期。人生もここから後半に入る。 (→朱夏・白秋・玄冬とは?そもそも青春って、いつからいつまで?から引用)

------------------------------

他にも、歳時記をながめると、こころに豊かな単語が多くみられます。また、北原白秋と誕生日がいっしょだとはじめて知りました。

現在62歳だから、「人生の後半」というにはとうが立った年齢に思えるけれど、気分一新で、新たな実りを求めてみよう。

実は50歳のときから、十歳代ごとのテーマソングを定めることにしていました。
そのときの心持ちにフィットした曲、これからの十年にふさわしい曲はなんだろうと、好きなクラシック音楽の大曲から選んできました。

50歳代のテーマソングに選んだのは、シベリウスのバイオリン協奏曲

冒頭のヴァイオリンのフレーズが印象的で、よく北欧の冬の光景が連想されると評されますが、作曲者は「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べています。

私には冷涼な空気よりもむしろ、冬に生きる生物の熱情の潜みが、全曲を通して感じられるのです。作曲者のコメントもそれを言いたいのかもしれない。

だから、こころをさかんに燃えたぎらせたかった50歳のとき、季節でいえば朱夏のときにこの曲を選びました。ゆとりというものを省いて省いて生きていました。

60歳代は、ブラームスの交響曲第1番

ベートーヴェンを意識して創った曲らしく、「暗黒から光明へ」がテーマであって、どんなときにもこころに希望が満ちてくる最終楽章です。

そのときは、気分が落ち込んでいる時期だったからだろうか、10歳代のころから何百回も聴いてきた、圧倒的に一押しといえる音楽を選びました。

いま思えば、期せずして60歳代、白秋の季節にふさわしい音楽でありました。

いまは、死線を越えてなお、ライフワークとして、希望を懐いて、新しい仕事への挑戦を始めました。

→一般社団法人東北情報機器再生推進機構

ブラームスは、着想から完成までに21年という期間を費やして、この曲を熟成させました。
不肖わたくしも豊作でなくていいから、これまでに味わったことのない果実を、わずかでも実らせてみたいものだと考えています。


ヴァイオリン協奏曲(シベリウス)


交響曲第1番(ブラームス)