書を捨てよ、山に入ろう

枯れ草で滑る。後ろにのけぞりそうになる。クモの巣が顔にかかる。

昨年のゴールデンウィークは、生活復帰のためのリハビリテーション治療入院の日々だった。

連休に人手不足になる大病院の脳外科から、連休でもスタッフが休まずに本格的なリハビリ訓練を施してもらえる専門病院に転院。

あれから1年。主治医からも奇跡の回復といわれるほどの回復をみた。

ゆとりの時間をつくらないように、毎日隙間なく仕事を入れて、気力が落ちないようにしている。

しかし、代わりに、毎日1時間続けてきた身体トレーニングの時間が取れなくなっている。

この連休も毎日仕事を詰めてあるが、ホップ(リハビリ)→ステップ(トレーニング)と位置づけ、山登りを再開することにしようと考えた。いい季節だ。

今日しかないと、朝食後、そそくさと小さなザックを背負って歩き出した。

ザックは、1972年札幌オリンピックのときに「ペプシコーラ」が展開したキャンペーンの景品だ。みすぼらしいが長く現役だ。

かつてのように、自宅から5分ほどの錦ヶ丘南登山口に向かう。

萱ヶ崎山登山口。ああ、懐かしい標識だ。

こころなしか、登山靴をはいた足腰が頼りない。

かつてほど快復していないのは当たり前だ。傾斜を登り始めて、実感した。山登りの体つきを、体が憶えちゃいない。

枯れ草で滑る。後ろにのけぞりそうになる。クモの巣が顔にかかる。

何十回も通った道なのに、こんなところに分岐があったっけ?と何度も立ち止まる。立ち止まることはいいことだ。頭が冷やされて、こっちだと判断に自信が現れる。

立木にペンキでマーキングしてあると、ほっとする。自然と笑顔がこぼれる。

前は地図が記憶されていて、マイルストーンまでいまどれくらいの割合を踏破してきたか把握していたのだが、今日は見当がつかない。同じようなアップダウンに心が陰る。

萱ヶ崎山を目指しているのだ、踏み固められた本道に合流するT字路の数百メートル手前から、ショートカットのけもの道に入った。100メートルほどの広場で迷った。以前も2度同じことがあったっけか。ここは無理せず、戻ろうと。来た道から外れ、這々の体で沢脇の道まで戻れた。

5分ほどで、山頂へ。379メートル。旧仙台市内の最高峰だそうな。丸太のベンチで瞑想でしばし休憩。

難儀はしたが、山に入ると雑念が消える。自分の頭だけで考えることしか、なくなるよ。

いまいる山と足下の土のこと、家族のこと、昨日読んだ本のこと、ちょっと仕事のこと、精神統一してるわけではないが、ノイズがまったくない。踏む足と踏まれた地面の音、風の音、熊鈴の音、風の音。ああ、僕は人間だ...

それでも、滑る、のけぞる、気にかかるものが突然手をかけてくる。急な坂道は足の軟弱さ加減を証明してくれる。嫌なことばかりだろうか。

それでも、時折、風の葉擦れや昔の石碑を見つけて喜ぶ。路程のごくまれな地点にささやかな幸せが突然現れる。人間にしかできない思考を体験できた、忘れていたのか、と自ら驚く。どこかに行っていたオレが戻ってくるようだ。人生捨てたもんじゃないと天を仰ぐ。

覚束ない日々の暮らしにだいぶ弱っている精神状態が、癒やされる。安らぐ。空気がおいしくなる。

2時間、4kmの至福。

書を捨てよ、山に入ろう。書籍もパソコンからも離れる時間がとても必要だ。来週は行けないから、再来週末にまた出かけよう。人間性ルネサンスだなあ。いいなあ。

自宅に戻って、寺山修司選集をめくったが、「書を捨てよ、町へ出よう」は収録されておらず。図書館に予約を入れておこう。

道のりはこんなルート。あ、迷った場所がありありだ(^^;
書を捨てよ、山に入ろう / あらやさんのウォーキングの活動データ | YAMAP / ヤマップ