うれしいはず...だが、イズイ。仙台の新しい音楽ホールの話。

2026年3月17日の河北新報、「持論時論」欄。見出しに、目が止まりました。「客席数より音重視して」。

ウィーン楽友協会、ワルシャワのショパンコンクールホール、パリのラジオ・フランスのホール。筆者は、世界的に音響で知られるホールの多くが、実は2000席に満たないと書いていました。ミュンヘンにできた新しいホールも、仙台の計画よりずっと短い期間、ずっと少ない費用で、優れた音響を実現したのだと語っています。

ふーん...と思いながら、記事を切り抜きました。

仙台市が、新しい音楽ホールをつくろうとしています。正式には「音楽ホール・中心部震災メモリアル拠点複合施設整備事業」。約2000席の大ホールを核に、震災の記憶を伝える拠点なども組み合わせた、総事業費646億円の複合施設だそうです。

クラシック音楽が好きで、震災の記憶を伝える活動にも関わってきた自分にとって、これは本来、よろこんでいい話のはずでした。

なのに、どうもイズイ。

イズイというのは宮城の言葉で、しっくりこない、というくらいの意味です。痛いとか苦しいとか、そこまではっきりした違和感ではありません。でも、なんとなく座りが悪い。靴の中に、小石が一粒入っているような感じ。

その正体を、切り抜いた記事をきっかけに、少し確かめてみることにしました。

まず断っておきますと、仙台に本格的な音楽ホールができること自体には、賛成です。

おそらく仙台フィルの本拠地になるであろうこのホールで、これまでよりもすばらしい音響で、良質な演奏を聴ける。それは、意義のあることだよ。

だから今日書くのは、反対の話ではありません。もう少し立ち止まって考えてほしい、という、わりと地味な話です。

一粒目の小石は、「客席数が先に決まっている。

新聞記事が並べていた世界のホールは、どこも2000席に満たない。それでも、世界最高峰と呼ばれている。だとすれば、音のいいホールをつくるために必要なのは、大きさではなく、設計によるのではないか。

仙台市は「大編成オーケストラや本格的な舞台芸術には2000席が目安」と説明しています。でも、その数字、本当に音から逆算されたものなのかしら。先に「2000席」という器があって、理由を後付けしているようにみえるのはうがちすぎか?

二粒目は、「県立劇場」。

2028年度、いまから2年後、大規模な宮城県立劇場が仙台市内に整備されることになっており、すでに着工されています。市の音楽ホールとは目的も性格も違う、という説明がなされているようだ。

でも、多くの市民や県民から見れば、同じ仙台市内に大規模な公共文化ホールがふたつできる、というふうに映るのではないでしょうか。

県立劇場には演劇や舞台芸術、大規模興行の役割がある。仙台市のホールは仙台フィルのホームホールとして、クラシック音楽に向いた音響設計になるはずです。ならば、その違いをもっとはっきり打ち出せばいい。

三粒目は、「多目的」という言葉への疑い。

オペラやバレエには、舞台形状も、客席の傾斜も、必要な音の響き方も、演奏会とはまったく違う条件が求められます。ひとつの箱に、それらすべてを詰め込もうとすれば、どこかで無理が出る。

誰の要望も断らない代わりに、誰の専門性も満たさない。「多目的」という言葉は、聞こえはいいけれど、実はそういう不在を隠しているのではないかしら。

四粒目は、「これまでのやり方」で通用するのか。

合唱団や吹奏楽の活動に関わってきました。だから、市が「2000席規模」の理由のひとつとして、合唱や吹奏楽の広域大会への対応を挙げているのを目にしたとき、思わず「ちょっと待って」と声が出てしまいました。

大会運営の現場を多少知っている身からすると、広域大会に必要なのは客席数だけではありません。出演前後の待機場所、発声や音出しの練習場所、更衣室、楽器や荷物の置き場、大型楽器の搬入経路、バスの発着場所、そして参加者の宿泊施設。しかも当日だけではない。これらすべてが揃って、はじめて大会は成り立つ。

2000席のホールをひとつ造れば、大規模大会を誘致できるわけではないのです。大会運営は、ホールだけでなく、都市全体の受け入れ能力によって成り立っています。

つい最近、秋田県で開かれた高校生の全国規模の文化祭「あきた総文祭」にでかけました。

そこでは、すべてをひとつの巨大施設に集めるのではなく、県内各地の文化施設を使って、種目ごとに分散開催していました。

宮城県にも、仙台市以外に優れた文化施設があります。名取市、石巻市、白石市をはじめ、それぞれに特色のあるホールがある。大規模な大会や文化祭を開くときも、仙台を中核としながら、県内各地の施設を組み合わせるという考え方が、あっていいのではないでしょうか。

参加者や観客を仙台市だけに集中させず、県内各地に人の流れを生み、宿泊や飲食の経済効果も地域に広げることができる。人口減少の時代に公共施設を整備するなら、ひとつの自治体がすべてを抱え込むより、既存施設をネットワークとして生かす発想のほうが、これからに合っているのではないか。これまでのやり方がそのまま通用する時代は終わりつつある。そんなふうに思うのです。

五粒目は、「震災と戦災」の話。 

もうひとつ、心に引っかかっているのが、震災メモリアルとの同居についてでした。

東日本大震災の記憶を次の世代へ伝えることは、大切なことです。震災後、音楽や文化芸術が人々を支えてきたのも事実。音楽と震災伝承がつながることも実感してきました。

でも、音楽と震災伝承にはつながりがある、ということと、音楽ホールと震災メモリアルをひとつの建物にしなければならない、ということは、別の話です。

震災メモリアルについては、音楽ホール計画の一部としてではなく、何を残すのか、誰に伝えるのか、どう未来へ引き継ぐのか。そういう伝承施設本来の目的から、場所や規模、機能を考えるべきではないか。

そしてこれは、もうひとつの記憶ともつながっています。仙台には、1945年の仙台空襲という戦災の記憶があり、それを伝えてきた戦災復興記念館という施設がある。国内でも希少な存在です。

震災の記憶を新しく整備する一方で、戦災の記憶を伝えてきた施設は存続させないという方向性のようです。

仙台という街が経験してきたふたつの大きな「復興」の記憶を、都市としてどう残していくのか。そこは、切り離さずに考えてほしいと思うのです。
 

ここまで、小石をいくつも並べてきました。読み返すと、ずいぶん文句が多いように見えますね(^^;

でも、繰り返しますが、仙台に本格的な音楽ホールができることには、素直に期待している。

だからこそ、いま求めたいのは、「今の案で進めるか、中止するか」という二択ではありません。

1500〜1800席くらいの音楽専用ホール案。今の約2000席案。県立劇場との役割分担をもっと明確にした案。県内の文化施設とのネットワークを前提にした案。音楽ホールと震災メモリアルを分けた案。そういう複数の可能性を、きちんと比較したうえで選んでほしい。

比較する項目も、建設費だけでは足りないはずです。音響性能、年間の維持管理費、利用率、仙台フィルがどれくらい使うのか、合唱や吹奏楽の大会にどう対応するのか、交通や宿泊、県内施設との役割分担。

そういうことを含めて検討し、その材料を、市民にみせてほしい。そして、協働の街として、市民とともにつくりあげていってほしい。

この施設は、できあがれば何十年も使われます。その費用を負担するのも、そこで音楽を聴くのも、次の世代まで含めた私たちです。

だから、「せっかく造るのだから、大きく立派なものを」ではなく、「何が本当に必要なのかを考え抜いて、必要なものをよい質で造る」という姿勢であってほしい。

仙台フィルを誇れる街だからこそ、よい音楽ホールを造ってほしい。震災を経験した街だからこそ、記憶を伝える施設を丁寧に考えてほしい。戦災からの復興も経験してきた街だからこそ、過去の記憶を新しい施設に置き換えるのではなく、都市の歴史全体をどう受け継ぐかを、考えてほしい。

靴の中の小石は、たぶんこれで全部出しました。

あとは、この計画がいま一度立ち止まって、いくつかの選択肢を市民に示したうえで、練り直されることを、一人の音楽好きとして願っています。

切り抜いた記事は、まだ机の上に置かれたままです。