新聞やテレビニュースを見るにつけ、世の中の動向を感じるにつけ、
日本の未来はどうなるのだろうか、
子どもの世代は幸せな人生を送ることはできるのだろうか、
と暗い思いを抱いてしまう。
心配事が杞憂であればいいのですが。
日本だけじゃない、世界中だってそうかもしれないが、世間の狭い私にとっては、「よその国の出来事」です。
最近のロングセラー「未来の年表」(河合雅司著、講談社現代新書)では、日本の人口減少によって引き起こされる「もう起きている未来」を描いている。たとえばこんな未来。
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
経済対策を優先と、施政者は強調するが、それだけでは解決できないと考えられます。
日本は滅亡してしまうのではと考えるのも、あながち絵空事ではなさそうだ。
ちなみに、経済視点での「もう起きている未来」は、同書の続編「未来の年表~業界大変化、瀬戸際の日本で起きること」に詳しい。
先日聴いた、NHK FMの番組「クラシックの迷宮」が「日本沈没とノストラダムス」を特集していた。いずれも1973年の流行書籍で、今年がその50周年。
閑話休題。
このような心理状態のなかで、書籍「村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝」(栗原康著、岩波現代文庫)を読みました。
歴史上の人物として名前は知っていたが、タイトルの過激さと表紙の写真の魅力的なルックスに書店の店頭で惹かれて、衝動買いした。
伊藤 野枝(いとう のえ、1895(明治28)年-1923(大正12)年)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家、翻訳家、編集者。不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を書き、戸籍上の夫を捨てて大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。世評にわがまま、奔放と言われた反面、現代的自我の精神を50年以上先取りして、人工妊娠中絶、売買春、貞操など今日でも問題となっている課題を題材とし、多くの評論、小説や翻訳を発表した。しかし、関東大震災後の騒乱期に甘粕事件で殺害された。無政府主義者(アナキスト)とは、そもなんぞや、というくらい、関心のなかった人物だったが、破天荒な生き方、それでいて芯の太い、強烈な自我など、これまで接した人物伝のなかでも最大級に痛快でした。
正確さにかけるのを承知のうえで、あらすじをまとめてみると、こんな趣旨でしょうか。
国家のため、経済のためとして、為政者は権力をふるう。それしか考えていない。しかし、民衆は無条件にそれに従おうとする。
いつも人間を生産性ではかりにかける。税金を払えるか、子どもを産めるのか、それができないとみんなが破滅しますよと。個人の趣味嗜好などおかまいなしだ。
しかし、従うことで幸福が得られるとは限らない。
政治に関心があれば、庶民であっても、しらずしらずのうちに、あたかも大臣のように装いはじめてしまう。
そして、形を変えて、家長制度でも同じことである。
女性は夫に従って生きることを強いられ、虐げられる。慣習という名の強制によって。
すなわち、あらゆる組織体で同じような「空気」が存在する。
そこで、そのくびきから脱して、自らが幸せだという生き方を自由に選ぶことにして、奔放に生きたのが、野枝である。
政府も組織もいらない。貧乏なんて気にしない。金や食べ物はもらえばいい。
この他にも本書には、恋愛論、人生論としてもおもしろいエピソードにあふれています。
真似するような勇気は私にはありませんが。
読んでいると、国家として行き詰まってしまっている(ように思える)日本で、私のような地方の中小企業の経営者が生きていく道が見えてきたような気がしました。
野枝には叱られそうですが、収益を確保する狭い道をどうやって確保するか。
うまく説明できないけど。
これから実践を通して確認していくことにしよう...
自分のやりたいことを、やれる範囲で、心の赴くままに。
ただし、あまりに逸脱すると、お金もついてこなくなるため、バランス感覚は大切。
時間をかけて、遠く離れていこう。いつも心に伊藤野枝を。
記事「「好きこそ物の上手なれ」を信じていなかったのだが。」に続いて、また女性に教えられた。
生きる道を深く理解するために、次に読む本はこれかな。
「空気」の研究(山本七平著、文春文庫)
日本には、誰でもないのに誰よりも強い「空気」というものが存在し、人々も行動を規定している...