低くてもこわいと自覚しよう、山と人生と。


再開2回目のトレッキングは「もみの木の山道」でした。錦ヶ丘の本法寺から蛇台蕃山へのルートをこう名付けています。

前回のブログ記事→書を捨てよ、山に入ろう

登山道沿いにもみの木が多い故なのですが、子どもの時分のクリスマスに、父がもみの木をどこからか切ってきて、自転車に積んで持ち帰り、クリスマスツリーに仕立ててくれたことを思い出すのです。

実家は仙台ではないので、この山ではありませんが。

このルートは、蕃山周辺ではいちばん傾斜のきつい直登でしょうが、再開2回目だから前回と違う山に登ろうと選びました。向かいながら、老父のことを想う機会にしようとも考えました。

実家にいる父とは、たまに会いますが、今日思い出したのは、昔の写真です。

私は幼稚園あたりでしょうか。桜の季節に、故郷の城址公園へ花見に連れて行ったときの写真です。

2人で芝生にすわって向かい合い、父が水筒を持って、私に笑顔で語りかけている写真。だれかに撮ってもらったんでしょうか。

バターが好物で、ごはんに載せて食べるのが好きだった私のために、角柱のバターを一本買ってくれたことも覚えています。さすがに、まるまる一本食べたとは思えないけれどね。

長男の私に、生活もらくじゃなかった若い父なりの愛情をかけてくれていたんだなあと、改めて想いました。あの笑顔。

山道はちょっときつめですが、めったに人が通らないとはいえ、踏み跡がしっかりしているので、迷うことはありません。いまは大規模団地に隣接してるけれども、以前は人家もほとんどなかった山林のはずで、お寺の坊さんたちが修行でもしていた道なのだろうか。

頂上で一休みしてから、ついでだから、西風蕃山に寄り道して行こうと、道をたどりました。

再開はじめの前回より、山歩きに迷いも不安も感じないや、と不遜な気持ちになりかけました。

そこで、(軽く見ると酷い目にあうぞ)と天の声。

西風蕃山への分岐へ難なく着きましたが、なんということでしょう、ここで右の西方向に曲がるべきだったのに、左へ行ってしまいました。あれ?違うかもとすぐ引き返しましたが、こんなことも忘れたのかと。

脳障害の後遺症で3歳くらい年をとったようだと自覚しているので、道を間違えるくらい、仕方ないな...いや、人生といっしょだ。

死線を越えて、新しい人生が始まったのだから、過去の知識や経験がそのまま役に立つ、これまでの延長線上にあるという人生ではないのかもしれない。たがを締めて、慎重に生きるべきだと天に戒められたのかもしれません。

そう考えはじめると、西風蕃山からの下山では、迷いそうな分岐が目につくようになっていました。

山は低くても怖いな、やっぱり。人生も同じだな。

下り道は、音楽を聴きながら。今日はブラームスのチェロソナタ第二番でした。小さい音量でも、不安なこころが支えられるような名曲。

歩幅を小さく小さく。すべらないように足を傾け。ロープを伝いながら、先人たちが作ってくれた道に感謝しながら下りました。

白滝不動尊に着いて、今日も無事下山することができました、ありがとうございました、と不動尊に感謝を伝えました。水で手を清め、水を少しいただきました。今日は水の流れがふんだんでした。 

今日は、父のことを想いながらだったから、次回は、息子への想いにしようか。

じゃあ次は娘のこと、その次は妻のこと。次は...トレッキングを、家族を想う機会にしよう。 

ちょっと前に聴いたラジオの朗読を思い出しました。山田太一さんの小説「異人たちとの夏」。40代の男性が、昔、30歳で亡くなった両親と、現世でその年令のままに出会って交流を始めるというミステリー長編。

...では、そのまた次の登山は、祖父母。義父母。そして。